武山でのサシバの渡りと三浦半島での生息状況
宮脇 佳郎(三浦半島渡り鳥連絡会代表)
■夏鳥のタカ、サシバ
サシバがどんな鳥か簡単に説明すると、大きさはカラスくらい、翼を広げると1mくらいの大きさで、色はレンガ色をしています。春になると南の国から渡ってきて、日本で子育てをして、秋になるとまた南の国へ帰っていく渡り鳥です。
こうした渡りをする鳥を「夏鳥」と分類していて、みなさんのよく知っているツバメなんかはこの夏鳥の代表といったところです。いくら、温暖な三浦半島とは言え、冬にはツバメも南の国へ渡ってしまいます。それは、なぜかと言うと、餌にしている昆虫がいなくなってしまうからです。サシバも同じことで、サシバの餌としているカエルやヘビ、昆虫などが冬でも活動している東南アジアなどに渡っていくわけです。

■2001年の渡りについて
毎年、9月の下旬から10月の上旬になると、サシバは日中、主に太平洋岸に沿って渡っていくのですが、その渡りのコースが武山の上を通っていて、県内でも有数のタカの渡りを観察できる場所となっています。
2001年はここで9/8から10/20まで観察を行いました。といっても、私たちは勤め人をしているので、基本的に土日の観察になってしまいます。ですから、期間中に観察できたのはそのうち15日間です。渡りが確認されたタカの仲間は9種類で、最も数が多かったのはサシバで702羽。次いでハチクマというタカで17羽などでした。サシバがタカの総数の95%を占めたのは、だいたい例年のとおりです。
100羽以上飛んでいる日の天候は、すべて晴れで、視界がよく、北東の風が安定して吹いている時でした。このような条件の日には、過去にも多くのサシバが飛んでいます。過去の記録から、恐らく1シーズンで合計1000〜1500羽くらいのサシバが通過しているのではないかと思われます。

■なぜ、武山を多くのサシバが通過するのか(1)〜武山岬〜
この時期にはサシバ以外にも、タカやハヤブサの仲間が観察され、これまでに14種類が観察されています。神奈川県内で記録されているタカの仲間は全部で19種類ですから、その7割以上がこの武山で観察されていることになります。
なぜ、これだけ多くのサシバや色々なタカが観察されているのでしょうか。
それには、武山の位置と地形が関係しているのではないかと思われます。三浦半島の中央よりやや南に位置する武山は、標高200mくらいの丘陵地です。その北には、大楠山、二子山など200〜250mくらいの丘陵地がずっと連なっていますが、逆の武山より南には、せいぜい70〜80mの丘か台地の畑となっていて、この南側から見ると、武山の丘陵がよく目立ちます。この台地を海に見立てるとすると、武山の丘陵はさながら海に突き出た岬と言えると思います。サシバは日中渡りますが、渡りの方法は目視で目標物を決めて移動しているようなので、主に南房総から飛来するサシバにとって、この武山の丘陵地が非常によいランドマーク的存在になっていると思われます。

■なぜ、武山を多くのサシバが通過するのか(2)〜二つの上昇気流〜
もう一つは武山の地形が関係しているのではないかと思います。武山の稜線は北西から南東におよそ2km連なっていますが、その南斜面はゆるやかで、北は急斜面になっています。そこにそれぞれ違った上昇気流が発生します。南斜面には、太陽の熱で平地よりも早く暖められた斜面に起きる、一般的な上昇気流が一つ。それから、太陽が照っていない早朝でも上昇気流は発生します。武山の稜線は北西から南東に連なっていると申しましたが、サシバが渡る9月下旬になると、武山周辺では北東の風が吹くようになります。この北東の風が、北西から南東に伸びる稜線に直角に当たって吹き上げられる上昇気流が発生するわけです。
サシバの渡りの方法は、この二つの上昇気流を多用します。早朝は稜線上にできる気流に沿って低く飛び、気温が上がってくる9時ころになると、上昇気流に乗って高くまで舞い上がったサシバは、その後、翼を広げたままグライダーのように長い距離を滑空し、次の上昇気流を見つけるとまた上昇と滑空を繰り返し、体力をなるべく使わない省エネ型の飛行術で長距離を移動していくわけです。

■風船で理科の実験
渡りを観察していたある秋のことなのですが、こんなことがありました。ちょうどどこかで運動会の開会式か何かあったのでしょう。北東の風に乗って、北のほうから数百個はあろうかという風船が流れてきました。そのおびただしい風船は、割とすっと流れてきたのですが、我々の頭上、つまり武山の山頂に差し掛かると、ピタッと動かなくなってしまいました。動かなくなってしまったというのは目の錯覚で、実はゆっくり上に向かって遠ざかっているというのがよく見るとわかりました。つまり、我々の上にはちょうど上昇気流ができていて、その風船を垂直に持ち上げていたのです。ある高度まで達した風船たちは、その後また北東の気流に乗って南の海上へ旅立って行きました。
恐らく、サシバたちは武山にこうした強い上昇気流が発生するということを経験的に知っているのかもしれません。こうしてサシバは武山の地形などをうまく利用しながら渡りを行っているものと思われます。

■三浦半島のサシバは絶滅寸前
最近、このサシバが減っているという話をよく耳にします。宇都宮市の例では、1990年前後には8つの地域で繁殖が確認されていたそうですが、1990年後半になると、繁殖地が開発などによって、まったく繁殖が確認できなくなってしまったそうです。
三浦半島内でも繁殖期のサシバは確実に減っているものと思われます。サシバが好んで生息する場所は、いわゆる谷戸田という環境で、そういう場所には餌としているカエルやヘビ、キリギリス類やカマキリといった餌が豊富だからです。昭和30年ころまでは半島内のいたるところに谷戸田があって、恐らくサシバはどこにでもいるごく普通のタカだったと思います。ところが、そうした谷戸田は開発にあったり、水田を放置して荒地化したりして、サシバが生息する条件に合わなくなってしまいました。
私たちの会では、本格的な繁殖期の調査はまだ今年から始めたばかりですが、半島内で生息を確認しているところは、今のところ数えるほどしかありません。近年、全国で行われたサシバの生息アンケートによりますと、サシバが好む環境として次のような条件が報告されています。谷戸の幅が20〜80mで、谷戸では水田耕作が行われていること、そして、水路は素掘りで護岸されていないこと、などが条件とされています。しかし、三浦半島で生息を確認している地域は必ずしもそうした環境ではなく、一番近い水田まで1kmくらい離れていて、しかも耕作しているのは3枚だけという環境もあって、サシバにとってはかなり悪条件での生活となっていると思われます。これ以上、そうした谷戸環境が開発などによって消滅すれば、半島内のサシバは全滅してしまう確率はかなり高いと思われます。水田耕作を放棄して荒地になってしまった谷戸を、一部の環境保護団体でも実施しているような一般市民による復田というのも実施して、昔のような谷戸田を復活させるということを今後は考えていかなくてはならないと思います。里山の生態系のトップに立つサシバが谷戸田の上を舞っている姿というのはとてもすてきな光景だと私は思います。


今後も私たちの会では半島内でのサシバの生息調査や渡りの調査を実施していく予定なので、興味のある方はぜひご参加下さい。


* 本稿は2002年6月9日に横須賀市で開かれた三浦半島かんきょうフォーラム*主催のシンポジウム**の発表で使用したレジメに加筆したものです。
 *三浦半島かんきょうフォーラム
 **シンポジウム 「再発見!! 三浦半島の自然」